2007年 06月 28日
古代エジプトへ思いを馳せる
女性でありながら夫の死後、ファラオとして君臨。しかし、死後は義理の息子によってその存在さえも抹消されてしまうという経歴の彼女ですが、大きな遺跡も残っているのです。
ハトシェプスト女王葬祭殿。それはルクソールにあります。
1997年に起きたあの不幸な事件のあと、エジプトは観光にも警官が随行するようになりました。
私はその前に訪れました。訪れたとき、この葬祭殿を使って、オペラ「アイーダ」が上演される話を聞いて「なんて舞台としてふさわしい場所なんだろう!」って感銘を受けたのを今でも覚えています。葬祭殿をライトアップし、夜空に浮かぶ歌い手達。。そんな平和な時でもありました。今では観光客も戻ってきて、大分安全にはなってきているらしいですけどね。。
暑さで壊れかかっている私(左)と添乗員さん
古代エジプトのミイラは、エジプト考古学博物館で見て来ました。かの有名なラムセス2世のです。彼はアフリカ大陸をほぼ掌握し、アブシンベル神殿やカルナック神殿など数々の遺跡を残している偉大なファラオでした。アブシンベルでは、正妃ネフェルタリのために小神殿も作ってしまうし。。死後に建てられたタージ・マハールもそれだけ愛されたってことで、ある意味、女冥利には尽きるかもしれないけど、死後でしょ~?だったら生きているうちにその証を見せてもらったほうがいいかなぁと思える私です(笑)
話がズレましたが、ともかく180cm以上もあるミイラであって、90歳近くまで生きたそうですから、当時としては平均の倍!の寿命であったそうです。平民からすると神様のように見えたかも?そう、まるで軍神のように!壁の彫刻も見ましたけど、かなり美化されているとは言え、カッコイイって思いましたよ~。爪や髪の毛まで残っていて、鼻が高く、かなりキレイなミイラだったと記憶しています。
ちょっとWikipediaで調べたら、『20世紀後半に劣化防止措置を受けるためフランスへ出国し、儀杖兵が捧げ銃を行う国王への礼をもって迎えられた(ミイラの皮膚組織にカビの1種が発生したため、調査を兼ねてカビの除去を行う必要があった)。この時には生きているエジプト人の扱いでパスポートも支給され、職業の欄には「ファラオ」と記入されていたというエピソード(すなわち、エジプト・フランス双方とも「現役のエジプトのファラオが病院に入院するために出国・来訪した」ということで行動した)も伝わっている』との記事を見つけました。
今回、確認された女王はそんなファラオたちの1人なのです。あぁ・・・エジプトには、まだまだ眠れるファラオたちが居るのです。浪漫だわ~!!!