成田山へ行って来ました
2018年 05月 26日
10年に一度、ご本尊の不動明王がご開帳されるのですが、期間は1か月のみ。
色々と用事が立て込んでしまう週末ですが、この日は何が何でもってことで行って来ました。
混むのは判っているので(特に最近のご朱印ブームで)、朝一番のバスに乗り、京成成田駅に着いたのは、8時10分過ぎでした。
駅構内のパン屋さんで、軽く朝食を取り、その後歩いて新勝寺へ。
駅からゆっくり歩いて15分くらいかな?
新勝寺に向うにつれて、段々下り坂になって行きます(ってことは、帰り道は登り坂で大変なことを意味します)。
こちらが、総門です。

大きな提灯は「魚がし」と書いてあります。これは、魚河岸講からの奉納された提灯だそうです。

仁王門を潜って、更に階段を上がると、ようやく本堂の前へ。
1080年祭の最中なので、大塔婆御手綱が建てられていました。





その次に向ったのは、出世稲荷。
坂を登ったの先にあります。


まずは、お参りしてから、列の最後尾へ。見ていると、お参りせずに並ぶ人も半分くらい。ご朱印目的とはいえ、ちょっと違うと思うんですけどね。
並んでいる人が、お堂の正面にはみ出ていたので、斜め前からのショット。
お稲荷さんなので、お揚げがお供えされています。

かつての本堂だった建物です。こちらでもご朱印を頂きました。

信徒から奉納された額や絵馬などをかける建物です。


こちらは、龍。




普段は開扉されていませんが、特別に公開されていました。

1701(元禄14)年に建立された、釈迦堂が本堂になる前の本堂だった建物です。
後方には奥之院の洞窟があって、本尊の大日如来像をお参りして来ました。
光明堂では、靴を脱いで中へ上がって、本尊の前で天国宝剣頂戴をしてきました。宝剣(天国宝剣は成田山開創の際、寛朝大僧正が朱雀天皇より賜った成田山第一の霊宝)を身体に当てて身体健全をお坊さんが祈って下さいます。

こちらにも、御手綱が。本尊は薬師瑠璃光如来なので健康長寿をお願いして来ました。
こちらも、御手綱が見えますね。

こちらの1階で、醫王殿と大塔の分の2つのご朱印が頂けます。その奥に、大塔の2階の明王殿へと向かう階段があって、本尊不動明王、四大明王、昭和大曼荼羅、真言祖師行状図を間近で拝見する事が出来ます。








雲水紋の彫刻がほどこされた各層の垂木は一枚板で作られた珍しいもので、一枚垂木と言うそうです。
色鮮やかで美しいです。うっかりとオペラグラスを忘れてしまったのは残念至極。
デジカメも、重たいので高倍率のを持ってこなかったのですが、やっぱり持ってくれば良かったなぁと・・・反省しても遅し。




朝は疎らだった、本堂前の御手綱も、大行列になっていました。朝早く来て正解でしたね。
総門前も団体客でごった返していました。
これから参拝に向う人々の流れに逆らって、坂を登って駅へ。
朝は、道から名物のウナギを捌く人々の姿が見えましたが、帰りはお店に並ぶ人々の姿が。
成田山の参道は、市と商店街の人々の協力のもと、高い建物は無く、電線も地中化されていて、派手な看板も一切なく(コンビニの看板も地味)、いい雰囲気の参道でした。
こちらは、大野屋と言う旅館で、このような珍しい造りになっています。中は団体客の場合は、食事つきで見学できるようですが、個人客は無理っぽい?です。

特に境内をくまなく歩いた後なので、余計そう感じたのかも?
新勝寺と、市川團十郎家の繋がりもよ~く判りました。やっぱり、一人で行ってじっくり見てきたのは良かったです。
さて、こちらが、頂いてきたご朱印。
右から、本堂(総門)で頂ける、不動明王、出世稲荷で頂ける荼枳尼天(だきにてん)、釈迦堂で頂ける釈迦如来のご朱印


が・・・かなり長い間のブランクを経て、ブームになるちょっと前から、また頂くようになりました。
だから、今のブームに乗ってる人たちとは、年季が違うんですけどね(笑)
ずーっと昔のご朱印帳を見ていたら、昭和の時代に新勝寺では頂いていました。その頃は3種でした。今と書き方や印が微妙に違うものも・・・


